福岡高等裁判所 昭和28年(ネ)734号 判決 1960年9月28日
(三三年(ネ)第二五四号)
控訴人(第一審原告(一〇名の選定当事者)) 蒲原亀雄 外一名
(二八年(ネ)第七三四号)
控訴人(第一審被告(反訴原告一名を含む)) 田中盛義 外五名
(両事件)
被控訴人(第一審被告、原告、反訴被告) 杵島炭礦株式会社
主文
本件各控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴代理人は、昭和二八年(ネ)第七三四号事件について、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。被控訴人が控訴人田中盛義に対して、昭和二五年一〇月一六日付でなした解雇は無効であることを確認する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決、昭和三三年(ネ)第二五四号事件につき、「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人両名及び選定者に対して、昭和二五年一〇月一六日付でなした解雇は無効であることを確認する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、両事件につき、控訴棄却の判決を求めた。
事実及び証拠の関係は、
昭和二八年(ネ)第七三四号事件につき、
被控訴代理人において、つぎのとおり述べた。
一 控訴人らを解雇するにいたつた事情。
(一) 被控訴人は、佐賀県杵島郡大町町外三ケ所に事業場を有し、従業員総数八千名余を使用する石炭会社であつて、その企業は、重要基礎産業の一に属し、企業運営の適否は、わが国の経済再建経済の興隆、国民の日常生活に重大な影響をもたらすものであるから、被控訴人は、企業の正常な運営確保に、日夜腐心してきた。しかるに、被控訴人の経営する各事業場所属の一部従業員は、組織された指導の下に、企業の秩序を無視し、虚偽に満ちた煽動的言動や暴力的行動によつて、職場の不安を醸成し、従業員の生産意慾の減退を図る等の言動に出で、企業の正常な運営に重大な脅威を与える者があり、かような破壊的言動に対し、企業の秩序を維持防衛するため、被控訴人が払つた苦心努力は筆舌に尽し難いものがあつた。
(二) 被控訴人の経営する杵島礦業所第三坑ないし第五坑においては、終戦後、日本共産党佐賀県西部地区委員会大町細胞及び江北細胞が組織され、前者にあつては控訴人田中静夫、昭和三三年(ネ)第二五四号事件の控訴人浦中貞男、選定者太田善二らが、後者にあつては、控訴人蒲原亀雄、石渡達治、熊野義雄、二五四号事件の選定者木場辰美らが、それぞれ中核となり、多数の党員とその同調者(控訴人坂内三郎、田中盛義、二五四号事件の選定者瀬田美之松は同調者の一員)を鳩合し、党の指導方針に従い、社会不安の醸成と生産阻害の言動とを活発に展開した。同人らの説く尊大ぶつた、もつともらしい熱弁ほど、外に偽善的な議論のないことは、経験に徴し、なに人も否定できないところで、その一、二の例を挙げると、
1、朝鮮動乱における北鮮軍の行動を支持して、わが民族の利益を誠実によう護してきた世界平和の砦ソ同盟などと称して、共産革命を暗示し、
2、新聞事業からの赤色分子追放を誹ぼうして、これは労働者の利益を守る戦斗的分子の追放であり、これを許すときは、侵略戦争と奴隷労働が来ると主張して、日本共産党の政治活動に同調すべきことを煽動し、
3、被控訴人の当時の経営主体たる高取資本をもつて、売国奴吉田内閣の戦争協力政策に便乗し、暴利を貪るため、労働者に低賃金労働を強制するものと罵り、
4、控訴人ら所属労働組合の幹部が、昭和二五年七月ないし一二月間の賃金協定の際、共産党の要求に盲従しないで、被控訴人との間に、公正な妥結点を見出した行動をもつて、自己よりもさらに強い親分の前には、無批判に屈従するボス取引だと罵致し、
5、被控訴人の労務課職員を目して、日本及び日本人を売り渡す売国奴と罵り、
6、被控訴人は三鷹事件を目論んでいる。会社(被控訴人を指す)は共産党員やその同調者が暴動を起こすかのように宣伝し挑発して、彼等を無実の罪によつて検挙させようと陰謀を企てていると誹ぼうし、
7、被控訴人が坑内における電線、ダイナマイト等の盗難を予防し、保安を維持するために行つた従業員の検身を、捕虜の待遇に等しい人権無視の検身だと誹ぼうするなど、自から労働者並びに国民の利益・権利をよう護する愛国者のように僣称すると共に、被控訴人の経営方針等に対し、欺瞞と悪意に満ちた誹ぼうと煽動とを内容とする文書を配布して、労働者の被控訴人に対する反抗・反感を誘発しようと狂奔し、
8、あるいは、同盟罷業において、経済的要求そのものは、第二義的で共産革命こそ第一義的であると称し、控訴人ら所属の労働組合が、同盟罷業中止の決議をなした後にさえ、従業員らに対し罷業の継続を煽動し、もつて、暴力革命を指向する政治目的のため、これを利用しようとし、
9、扇風器の故障で、坑内の気温が高まるおそれがあつたので、係員が他の扇風器と取り替えようとしているのに、不当に坑内設備の不備をならしたり、組責任者が被控訴人側の選任にかかることを理由として、被控訴人の職制を不当に非難し、その都度多数の従業員を煽動して集団的に職場を放棄させる等、企業の秩序をびん乱し、その正常な運営を妨害し、ひいて企業を破滅に陥らせる言動は、枚挙に遑がない有様で、そのうち数件を具体的に例示すると、
(三) 1、控訴人蒲原亀雄は、
(イ) 昭和二四年一二月一六日頃津山組の一員として入坑したが、作業場で、「責任者津山春夫は、会社の指定した者であるから、われわれの責任者は、われわれの公選によつて定めるべきだ。」と被控訴人の職制を不当に誹ぼうして、作業場を混乱させた上、組員四二名のうち、二六名の者を無断職場放棄の上、昇坑させ、
(ロ) 昭和二五年七月二日頃、同組の一員として一番方に入坑し、左一片三卸一号払の現場に赴いたが、肩扇風器の故障のため、気温が上昇したので、係員堤九十男は直ちに、三卸局部扇風器をもつて代替させたので作業は継続しうるようになつたのにもかかわらず、施設の不備を不当に誹ぼうして従業員を煽動し、係員の指示に従わず、ついに三〇数名の者が無断職場を放棄するの事態を招来させ、
(ハ) 昭和二五年一〇月一〇日午後二時頃、熊野義雄とともに五坑営繕課前で、入坑者に対し「目的も判らない捕虜のような検身はやめろ」との宣伝ビラを多数配布し、保安確保並びに盗難等予防のために、労務課員のなす正当な職務行為である検身を歪曲批判し、従業の被控訴人に対する故なき反感を助長煽動し、
2、控訴人熊野義雄は、
(イ) 昭和二五年一〇月七日頃の早朝、石渡達治外一名とともに、「云うことを聞かぬとなぐられるぞ」との題名のビラを配布し、被控訴人のやり方をそのまま許したら、職場は監獄になる旨無責任な言辞をもつて、被控訴人に対する従業員の故なき反感を醸成し、平静な労資関係を混乱させ、業務の阻害をはかり、
(ロ) 同年同月一二日午後二時頃、「私達の要求を斗いとろう」との宣伝ビラを配布し、被控訴人は、戦争に協力する売国政策に便乗して、大もうけをするため低賃金労働を強制しているとの無責任な批判を加え、また公傷者に提出させる始末書は、公傷者の総べてに提出させるものではなく、本人の不注意によつて負傷した者に限定されており、その趣旨は、本人がかかる失敗を再び繰り返さないよう注意を喚起するものであつて正当な措置であるのに、被控訴人がなにか不当な目的で始末書を提出させるものであるかのように歪曲し、公傷者の始末書は廃止せよとアジつて業務の円滑な運営を阻害し、
3、控訴人坂内三郎は、
(イ) 昭和二四年一一月六日杵島礦業所第五坑労働組合の所属する杵島労働組合連合会(杵連)は、労働協約賃金改定に関しストライキに突入したが、当時、今度のストライキは、経済的目的は第二義的で、共産革命が第一義的なものであると強調して、争議を長期化し会社業務を混乱に陥らせるため狂奔し、
(ロ) 同年同月一一日このままストライキを継続するときは、共産党員に乗ぜられ、正当な組合活動を破壊されることを憂慮した杵連がスト中止の決議をなし、各傘下組合に指令するや、これを不満とし、党員会沢松一、梅田衛らと相謀り、平静に戻りつゝあつた従業員に「かれらがハンストまでやつて要求貫徹に身を捧げているのに、これを見捨てて仕事には行かれない。」との気分を醸成し、もつて不当に争議を長期化し、事業場を混乱に陥入れることを決意し、杵連のスト中止指令に反抗して、同月一二日から一七日まで、第五坑口附近においてハンストを続行し、
4、控訴人石渡達治は、
(イ) 昭和二四年一一月一一日前記のように杵連がスト中止の指令を発するや、蒲原亀雄、本場辰美、北村一次郎らとともに、杵連本部に行つて「スト中止指令を取り消させる。」と息巻き、組合員を煽動して、江北町大字上小田五坑新町広場に多数集合して騒ぎ立て、これを制止した組合幹部に対しては「お前達は検挙が恐ろしいのか」と喰つてかかり、偶々通りかかつた被控訴人のトラツクを止め、多数の者を煽動して運転手及び組合幹部の制止にもかかわらず、これに飛び乗り、杵連本部に押し寄せ、その際運転を誤り民家に突入する等の暴挙をなし、
(ロ) 昭和二五年一〇月三日頃の午後九時頃、右五坑旧坑口附近で、「杵島に迫る大量首切り、だんこ攻勢に移ろう。(甲第六六号証の四)」なるビラ多数を従業員に配布し、売国奴吉田は戦争に協力するため、新聞事業等から大量の戦斗的労働者を首切り、さらに国鉄、全逓、炭礦等あらゆる産業に波及し、今や共産党員だけでなく、戦争に反対し労働者の権利を守つて戦う一切の労働者が首切られている。共産党員の追い出しは、当然日本人の奴隷生活を結果すると断じ、無責任な言辞をもつて大衆を煽動し、
(ハ) 同月七日頃の早朝熊野義雄らと共に右2(イ)記載の行為をなし、事業場においてビラを配布することは、就業規則で禁止されているため、これを制止する労務課員の正当な行為を誹謗し、従業員の故なき反感を煽動し、
5、控訴人田中静夫は、
(イ) 昭和二四年二月六日頃杵島郡大町町浦中貞男方で、同人及び共産党員、同調者数名と共に被控訴人の生産阻害の方法について謀議し、「函よこせ運動」と称する、炭車に石炭を八分目程積み、当時資材不足の折柄、ただでさえ不足する炭車をよこせと要求し、函がないという口実で堀炭ができないようにしようと打ち合わせ、また「切羽よこせ運動」と称する、石炭が思うように出ないのは、切羽の条件が悪いからだ、条件のよい切羽を至急提供せよと要求し、新たな切羽を造るには、半年ないし一年の日時を要するため、要求に応ずることができないことを見越して、鉱員の故なき不平不満を醸成しようとし、
(ロ) 昭和二五年八月二八日頃大町町中宮町附近で、「首切反対斗争に起て」とのビラ多数を配布し、資本家は政府の指示により首切り案を作りつつある。大鶴礦の首切の後には、奴隷労働がまつている旨の事実を歪曲した宣伝をなし、
(ハ) 同年九月一六日頃杵島礦業所三坑々口附近で「労働者の起ち上りにおびえる会社、入坑時のビラまきを禁止通告」とのビラを配布し、共産党のビラ配布により真相の発見を恐れた被控訴人が、真相の隠蔽を企て、ビラの配布を禁止したと事実を歪曲した宣伝をなし、
(ニ) 同年一〇月二日早朝前同所で、右4(ロ)記載のビラ(甲第六六号証の四)多数を配布して虚構の事実を宣伝した外、この種誹謗、歪曲宣伝、煽動活動は同年八月一六日から一〇月三一日までの短期間内だけをとり上げて見ても、前後一五回にも及び、
6、控訴人田中盛義は、
共産党員田中静夫の実父で、その同調者であつて、静夫の業務阻害の活動行為を援助したばかりでなく、被控訴人が盛義に提供した本件社宅を大町細胞のなす業務阻害活動の中心処点となした責任者で、静夫を解雇しても同人が父たる盛義方に同居する以上、右社宅が業務阻害の拠点として使用される明白な危険がある。
(四) 共産党員ないし同調者である控訴人らの以上の言動は、すべて日本共産党の暴力主義的方針によつて指導されたものであつて当時日本の全産業部門にわたり、すべての企業において行われたところである。このことはマツクアーサーの屡次の声明・書簡に指摘されているばかりでなく、日本共産党が第六回全国協議会で自から肯定しているところである。右のような社会状勢下において、かような集団的企業破壊の危険に対し、必要な防衛措置を講ずることは、重要産業の経営者に対する客観的要請であり、かつ社会的責務であつた。そこで被控訴人もまた、重要産業の一たる石産産業経営者の一員として、上述の客観的状勢と控訴人らの言動にかんがみ、企業に対する破壊的行為を阻止し、その危険を排除し、もつて企業を破壊から防衛するため、昭和二五年一〇月一六日控訴人らを含む三六名を整理したのである。
二 (一) 控訴人らは、労働者と国民の権利・自由とを守る擁護者であるかのように僣称し、控訴人らの解雇を放任するならば、職場は監獄となり、必ずや後には侵略戦争と奴隷労働とが来ると煽動し所属労働組合の名において、または、その援助のもとに、解雇反対斗争を展開しようと狂奔したのであるが、各労働組合はいずれも、控訴人らの従来の言動に照らし、解雇をもつて已むを得ないものとして黙認し、控訴人らの要請を拒絶した。この事実こそは当時の客観状勢に照らし、被控訴人の採つた措置がいかに正当なものであつたかを最も雄弁に物語るものである。
(二) 本件解雇は、控訴人主張のように、就業規則に違反するものではない。同規則第一五条は、
<1> 礦員が左の各号の一に該当するときは三十日以前に予告して解雇するか又は三十日分の平均賃金を支給して解雇する。
一、第十七条に規定する停年に達したため退職させるとき
二、精神若くは身体虚弱老衰疾病のため業務に堪えず且つ職場転換不可能なとき
三、事業の休廃止その他已むを得ない事業の都合によるとき
四、その他前各号に準ずる已むを得ない事由があるとき
<2> 前項の予告日数は一日について平均賃金を支払つた場合はその数を短縮する。
と規定している。懲戒解雇は従業員にとり死刑にも等しい苛酷な処分であつて、万已むを得ない場合の外は、執るべき措置ではない。被控訴人は控訴人らに有利の措置をとるべく、同条第一項第四号により退職金等を支給して解雇したのである。
三 解雇につき賞罰委員会の意見を徴しなかつたとしても、解雇は無効ではない。就業規則第六六条第一項は「懲戒処分は必要に応じ礦業所長賞罰委員会に諮つて行う」と規定し、「同意又は承認を得て行う」旨規定していない。したがつて賞罰委員会に諮問して、その意見を参考にすれば足るばかりでなく、その諮問の必要の有無の判断は礦業所長の裁量に委ねられ、かりに礦業所長が裁量を誤り賞罰委員会に諮ることなく懲戒処分に付したとしても、たんに同条項違反の処分たるにとどまり、処分の効力に消長をきたすことはない。事実組合側は賞罰委員会に出席し、もつて処分の責任の一端を負わされる立場に立つことを嫌つて、その旨の申入れをなした結果、当初予定された賞罰委員会規則も遂に制定されず、今日にいたるまで賞罰委員会が開催された事実はない。
四 控訴人田中盛義(一審反訴原告)には、(一)上述した解雇事由があつたので、被控訴人は、昭和二五年一〇月一六日内容証明郵便をもつて同控訴人に対し、同月一九日までに退職願を提出して退職することを勧告し、同日までに退職願を提出した場合は、予告手当として三〇日分の平均賃金九、八八七円四〇銭、退職金九五、一五八円七九銭、特別加給金として平均賃金三〇日分を支給するが、万一同日までに退職願を提出しないときは、本通告をもつて即時解雇の通告とし、この場合は解雇予告手当と退職金のみを支給して、特別加給金は支給せず、なお右各金員は杵島礦業所経理課において、同月二〇日一五時までに受け取るべき旨を付記した解除条件付解雇の意思表示(甲第一五号証参照。他の控訴人らに対しても同旨の内容証明郵便を以て通告す)をなしたが、田中盛義は所定期限内に退職願を提出せずかつ予告手当を受領することを肯じなかつたので、被控訴人は、同月二一日佐賀地方法務局武雄支局に、右解雇予告手当金九、八八七円四〇銭を弁済供託した。
ところが同控訴人は同年一一月初め、労働組合の役員を通じ、円満退職したいので解雇を取り消し所定期限内に退職した場合と同一の取扱をして貰いたい旨申込んだので、被控訴人もこれを承諾したので、同人は同月三日一身上の都合により退職する旨の退職願(甲第一七号証)を提出し、両者協議の結果特別加給金を五、九三二円四四銭とし、これと前示退職金九五、一五八円七九銭計一〇一、〇九一円二三銭を経理課において受領し(甲第一八号証)、同月六日供託予告手当金の還付を受け(甲第一九号証)、ここに同人と被控訴人間に完全に合意退職が成立した。同人は利害得失を考慮した上退職の意思を決定したもので、その退職の意思表示につき法律上一点の瑕疵もない。
(二) 被控訴人の礦員就業規則第一七条によれば、礦員が満六〇才に達するときは、当然に停年退職し、雇用関係はなんらの手続を要せずして消滅する(乙第一五号証)。田中盛義は、明治三〇年一〇月一〇日生れであるから、昭和三二年一〇月一〇日に満六〇年に達し、本件解雇がなかつたとしても、すでに被控訴人との雇用関係は終了しているので、雇用関係の現に存在することの確定を求める趣旨の本件解雇無効確認の訴は、確認利益を欠くので結局排斥さるべきである。
と述べた。
五、証拠<省略>
控訴代理人において、
一 本件解雇はレツド・パージを背景になされたものである。
よつて、本件事業の真相に徹するために、レツド・パージの意味本質について一言する。レツド・パージが共産党員に対する弾圧であり、労働組合運動の右旋回を目指したものであることは、いまでは学界の常識である。GHQの労働課長エーミスは、昭和二五年九月二五日、二六日に、石炭、造船、鉄鋼、自動車、私鉄、銀行、化学等の一〇大産業代表に対し、同年一〇月六日には、繊維、セメント、石油、印刷出版、生命保険等の一二業界代表に対して、レツド・パージを命じた。当時の吉田首相は、同年八月五日に赤化防止に必要な措置を講ずるといい、保利労相、同年七月二七日レツド・パージは官民を問わず必要と強調した。同年一〇月九日労働省労政局長名で「企業内における共産主義的破壊分子の排除について」なる秘密通達が各都道府県知事あてに出されたが、この通達には、企業からの排除の対象は、共産党員及びその同調者であつて、かつそのいずれにしても、主導的に活動し、他に対して煽動的であり、又その企画者で、企業の安泰と平和に実害ある悪質ないわゆるアクテイブなトラブル・メーカーであると書かれてある。日経連は、同月二日「赤色分子排除対策について」なる文書を流し、(1)党員並びに秘密党員は関係方面のリスト、各方面の情報、部内調査により選出し、(2)同調者は、党との連絡、支援者、極左的言動家、行き過ぎの組合活動家や会社業務の阻害者である。(3)解雇は業務上の都合とするのが適当、(4)法廷斗争では、口頭立証は出所を追求され窮状にたつおそれがあるため、陳述書で一括反証することという詳細な措置を決定指令している(日本資本主義講座七巻一八七頁以下)。同書は、かようなレツド・パージの狙いが、平和と民主主義の勢力を労働組合から一掃し、孤立化させることによつて、労働者全部を骨抜きにし、労働者階級を右翼社会民主主義者に売り渡し、朝鮮戦争遂行のための収奪と抑圧の体制を創り出して、国連協力を強制しようとするものであつたことは明らかであると論じ(同書一九〇頁)、野村平爾早大教授は、レツド・パージは、共産党員を含む階級的自覚を持つ組合活動家を整理することによつて、組合の自主性を破壊する政策で(同書四五六頁)、このような組合政策の総仕上げ的意味をもつものであつたという(同四五五頁)。昭和二五年に敢行されたレツド・パージの背景及び本質が何であるかは、右によつて明らかである。
二 本件レツド・パージの特色は被控訴人の主張及び各証拠によつて明らかなように、解雇理由の大部分が、文書の配布を理由にされていること、文書の配布以外の解雇理由は、いずれも古い事件で、しかも控訴人らを除く他の関係者は、誰一人として処罰されていないようなものであること、これである。労働組合員や政党人の文書配布が、法律上どの程度まで許されるかは、憲法第二一条、第二八条、第一三条との関係において慎重な検討を要する。杵島礦業所には、文書の配布方法を禁制した規定や慣行はなく、被控訴人も配布方法の不当違法を解雇理由として主張しているものではないから、本件では専ら配布もしくは掲示された文書の内容が解雇に値するものであるか、どうかを問題にして検討さるべきである。憲法第二一条の解釈につき、いわゆる明白かつ危険の原則が参考さるべきことは、学説判例の認めるところである。控訴人らは被控訴人の従業員であるから、言論の自由も、従業員という身分によつて制限される点が絶無であるとはいえないにしても、右学説・判例の立場は、従業員による文書活動においても、あくまで維持されなければならない。本件文書の内容は(なお後記参照)、従業員の言論自由の範囲を逸脱しているものは、ひとつとしてない。すべて言論の自由、政治活動の自由で保障された正当な文書活動である。共産党の名義で配布された文書でも、党員である労働組合員が、労働者の労働条件の向上を目的として、組合員もしくはその家族に配布した文書は、政治活動である半面、組合運動であり、すなわち両者が一体をなしている。このような言動は、正当な組合活動がたまたま他面において細胞活動としての性格をもつていたという場合であつて、これを理由に解雇することは、不当労働行為に当り無効である(最高裁・昭和二八年(オ)第三九二号判決)。すなわち控訴人らの言動は憲法第二一条第二八条の保護を受ける。本件の文書は、いずれも真面目な気持で労働者大衆に訴えているものばかりで、解雇されても已むを得ないと認むべき文書はない。かりに配布文書らの中に、字句の穏当を欠くものがあつたとしても、当時レツド・パージの嵐で職場がわき返つていたときに、レツド・パージの当の対象者としてリストに上つていた控訴人らが、レツド・パージを止めさせたい、労働者の覚醒を促したいという気持で配布したものであることを考慮すると、これをレツド・パージの実行者である被控訴人が非難するのは酷に失する。ことに、問題となつているビラは、レツド・パージの行われた当月か前月位に配布されたものが多いが、当時すでにパージ該当者のリストは出来上つていた筈であるから、被控訴人が本件解雇の理由としてビラ頒布行為を挙げることは、本件レツド・パージを合法化するための方便にすぎないとの感がある。その極端な例は昭和二五年一〇月一六日レツド・パージ後のビラ頒布を解雇理由に挙げていることである。またその反対に、昭和二三年頃の出来事で皆すでに忘れていたような事件(ノソン・ハンスト事件)を解雇理由に挙げているのは、いかにも無理をしてパージの口実・証拠を探しまわつたという感じがする。これらの一連の不自然さは、共産党員及びその同調者であるという理由だけで解雇したら、憲法違反だと非難されることをおそれて、これを回避するための工作が施されたのではないかとの疑を濃くするものがある。なお、昭和三三年(ネ)第二五四号事件につき後記の当審において新たに陳述したところを援用する。
三 以下控訴人らに解雇理由の存在しないことを個別的に検討する。
(一) 蒲原亀雄
1、被控訴人主張の一(三)1(イ)について。
炭鉱にはノソン(早昇坑)という慣行がある。これは杵島炭礦に限らず、全国的な慣行であり、ノソンという言葉はどこの炭鉱でも使用されている。レツド・パージ前の杵島においても、ノソンの慣行は、永年にわたる慣習として一般化しており、就業規則中の勤務時間に関する部分は、ノソンの場合には、適用を除外されるという実情にあつた(会沢松一、池永清の各証言)。これは、生死の危険にさらされる坑内の特殊な作業条件や縁起を担ぐ坑夫気質と関係もあろうが、根本的には、請負賃金制のもとでは、炭鉱経営者は、従業員の勤務時間を喧しく言う必要が少なかつたことに基因している。要するに、杵島においても、ノソンは広く黙認されていたもので、被控訴人が職場放棄といつているのは、このような数多いノソンの一つに過ぎず、蒲原が被控訴人のいうような事情で早昇坑させたものではなく、早昇坑者の一人であつたまでである。この事件がもともと解雇事由たり得ないものであることは、当時会社も組合もこのことを問題にしていなかつたし、この事件で処分された者もおらず、レツド・パージ発表後法廷において、突如、何人も忘れてしまつていたノソン事件が持ち出されたという経緯から見ても明らかである。
2、同上(ロ)について。
これも前記ノソンの一つである。組合員が予ね予ね修理を要求していた扇風器が故障し、何時修理が終るかも判らない上、切羽の所には居れない位暑くなつたので、多数の組合員がノソンしたという出来事で、蒲原もたまたまその一員であつたに過ぎない(池永清の証言)。かかるノソンに対しては、使用者は請負給を生産高に比して差し引き減給することが永年の慣行であるから、これが解雇事由たり得る筈がなく、蒲原が昇坑を煽動教唆したものではないし、同人以外にこれを理由に解雇された者はない。
3、同上(ハ)について。
レツド・パージ直前になつて、なぜか検身が喧しくなつた。従来は入坑時のみ検身していたのに、パージ直前には入、昇坑時に検身するようになつた。入坑時の検身は、危険物発火物などを坑内に持ち込ませせないという目的があるが、昇坑時の検身は、何のためにするのかその目的が判らない。しかも検身の方法は、両手を上げさせ、身体着衣を探り、所持品を検査するという人権を無視したものであるから、甲第六五号証の一〇のビラ「目的もわからない、ホリヨのような検身をやめろ」を組合員に配布して、訴えたまでであり、正当な組合活動もしくは政治活動である。
(二) 熊野義雄
1、同2(イ)について。
甲第六五号証の三のビラ(言うことを聞かぬとなぐられるぞ)が事実どおり書かれたことは、井手太郎の証言に徴し明らかで、このビラ配布は、解雇事由とはなり得ない。
2、同2(ロ)について。
本件ビラ(甲第六五号証の四)が無責任な批判、業務を阻害するものでないことは、ビラを一読すれば分る。このビラ配布行為も正当な組合活動もしくは政治活動である。
(三) 坂内三郎
1、被控訴人主張の一(三)3(ロ)について。
杵連のスト中止指令に反対したのは、杵連傘下の労働組合員の半数に近い者達で、とくに坂内三郎所属の杵島五礦労組では、組合大会において、スト中止反対を決議した。スト中止反対者は坂内ら少数者である旨の主張は、事実に反するし、坂内がハンストを煽動したというのも虚偽である。ハンストに参加して坐り込んだ者は三〇名近くであつて、坂内は五礦労組組合長会沢松一とともに、ハンストをした多数者の一人であるばかりでなく、かような組合活動は、元来解雇理由となり得るものではなく、当時この事件の責任追求が問題とされたことはなかつたし、三〇名近くのハンスト参加者で、このために解雇された者はなかつたのに、訴訟が起きて突然、坂内に対してだけ解雇理由の一として主張されるにいたつたもので、いかにもレツド・パージのための口実として利用されたという感を深くする。
2、甲第六五号証の六、七のビラは、解雇通告後に配布したものである(昭和三二年(ネ)第二五四号事件の原判決中被控訴人主張の(三)2参照)。これは被控訴人主張の解雇理由なるものが、パージ実施後に、法廷斗争の資料として作出されたものであることを暴露する資料である。
(四) 石渡達治
同上4の(ロ)(ハ)について。
(ロ)は後記田中静夫の(五)3に、(ハ)は熊野義雄の右(二)1に述べるとおりであつて、ともに解雇理由となるものではない。
(五) 田中静夫
1、同上5(ロ)について。
同ビラは、甲第六六号証の二のとおりである。このビラの内容を見ても、これを配布することが解雇に値するものとは、到底理解できず、労組員がかかるビラを配布することは、正当な組合活動である。
2、同上5(ハ)について。
このビラは甲第六六号証の三のとおりである。かかるビラを配布することが解雇に値する違法なものとは考えられず、むしろ、憲法第二一条第二八条の保障する正当な組合活動もしくは政治活動である。
3、同上5(ニ)について。
甲第六六号証の四のビラの冒頭の「西杵炭鉱の七二名の首切り」とは、近隣の西杵炭鉱のレツド・パージを指す。新聞、放送、電産、国鉄などの大量解雇というのも、レツド・パージを指している。このビラが配布されたのは被控訴人がレツド・パージを通告する一〇数日前、すなわち被控訴人はレツド・パージ準備に忙殺されており、組合は来るべきパージに大騒ぎをしていた時期である。かかる時に、間近に迫つたレツド・パージに対し、パージの刃を突きつけられた共産党員が、反対斗争のための決起を訴えるのは、むしろ当然でなんら非難の理由とはなり得ない。
4、なお田中静夫は、被控訴人のいうように大町細胞の第一人者・実質上の首領ではない。大町細胞には同人以外に細胞キヤツプがおり、同人は細胞内の一員にすぎない(井手太郎の証言)
(六) つぎに被控訴人提出の甲第六五号証の一、二、一二について、一言しておく。
甲第六五号証の一は、労働組合員に政治情勢を知らせるための掲示ビラで、言論の自由の範囲を逸脱するものでない。「大本営発表を二度と繰り返すな」とのビラは、日本共産党臨時中央指導部発表のものと同文であり、全国でこれが解雇理由にあげられているのは、本件が唯一つである。同号証の二は、同一二と共に正当な組合活動、政治活動の一環としてのビラである。
(七) 田中盛義
1、田中盛義が被控訴人の生産を阻害する言動をしたこと、同人居住の社宅を被控訴人主張のように利用させたこといずれも否認する。
同人にはなんら解雇の理由となるべき事実は存在しない。被控訴人は同人が田中静夫の実父で静夫と同居しているということに基いて、盛義を解雇したのである。
2、被控訴人が盛義に対し主張の日主張内容のような内容証明郵便を発送し、盛義がこれを受領し、所定期限までに退職願を提出せず、予告手当を受領しなかつたため、主張の供託がなされたこと、同人が昭和二五年一一月三日退職願を提出し、主張の日に主張の金員を受領し、供託金の還付を受けたこと、礦員はその身分を失つた時から二〇日内に社宅を立退いて、被控訴人に明け渡す旨の就業規則(社宅管理規則)の存すること、同人の生年月日の点は認めるが、同人が自己の意思に基いて雇用関係を消滅させたこと及び円満な合意退職が成立したとの主張並びに同人は本件反訴による解雇無効確認の利益を有しない旨の主張は争う。
3、被控訴人の昭和二五年一〇月一六日付の解雇意思表示は、一方的な労働契約解約の意思表示で、これに対し盛義の同意・承諾という観念を容れる余地のない性質のものである。同人が争つているのは、この意思表示が無効であるということである。被控訴人は、盛義が自己の意思に基いて雇用関係を消滅させたもので、退職の意思決定は、利害得失を慎重に考慮の上なされたものであると主張する。だが盛義が退職願を提出し、退職金等を受けとつたのは、将来においても不当な本件レツド・パージに反対するためであつて、その旨を退職願を提出したり、退職金等を受領したりした際、被控訴人に口頭で通告している。しかも退職願の提出、右金員の受領は、そうするより外に、自己及び家族の生活を維持する方法がなかつたので、已むを得ずしてなしたものである。かような生活条件のなかで、かような方法でなされた退職願の提出、退職金等の受領は、自由意思による任意退職の効果を生ずるに由なきものである。
なお、被控訴人は、前示昭和二五年一〇月一六日の一方的な雇用契約解約の意思表示を撤回したことはない。すなわち、一方では右解約の意思表示の有効な主張しながら、他方では、盛義は一方的な解約の意思表示によつて解雇されたものではないと、前後矛盾する主張をなしている。
四 本件解雇は就業規則に違反してなされたが故にこの点からいつても無効である。
以上主張するとおり、控訴人らに対する解雇は無効であるが、さらに、本件解雇は、杵島礦業所礦員就業規則に違反してなされたものとして、また無効である。
本件解雇が同規則第一五条第一項三号に準じ同四号によつてなされた解雇であることは、被控訴人の主張し、かつ証拠によつて明らかである(労務課長宮原五郎、同課員吉原維行の証言)。同規則第三章の表題は雇入解雇及び退職となつており、同第二節で解雇及び懲戒のことを規定しているが、第一〇章として表彰及び懲戒の一章が設けられ、礦員がその意に反して解雇される場合につき詳規する。第三章第二節と第一〇章とで解雇方法に違いがあるのは、前者は礦員の責に基かない解雇を規定し、後者はその責に基く解雇を規定していることである。第一〇章中の第六五条第一号ないし第一一号は、礦員の責に帰すべき事由に基く懲戒解雇の事由を列挙し、同条第一二号は、その他前各号に準ずる行為のあつたときという包括的な規定をしているので、礦員の責に帰すべき事由による解雇は、右第六五条にこれを求める外はなく、第一五条によるべきではない。同条第一項第三号後段の、その他止むを得ない事業の都合によるときとは、同号前段の事業の休廃に類似する已むを得ない事業上の都合によるときのことを指しているから、不良礦員を排除するとか、礦員の違法行為の責任を追求して、解雇する場合までもこれに含めることはできない。同条同項第四号のその他前各号に準ずる已むを得ない事由とあるのも、同様である。懲戒解雇の場合には、第一五条の解雇の場合と異り、組合代表者の参加する賞罰委員会にはかつて行うと規定する第六一条の趣旨からも、右解釈の正当性が裏付けられる。
しかるに、被控訴人が解雇事由として主張している各事実は、いずれも第一五条第一項第三、四号を適用すべからざる解雇事由であり、被控訴人主張の事由によつて控訴人らを解雇するには、第六五条、第六六条に従い、労使双方の代表者で構成する賞罰委員会に諮るべきであるのに、これを諮らずして、第一五条第一項第三、四号によつてなした本件解雇は、解雇事由の有無を検討するまでもなく無効である。
五 概括
要するに、本件解雇は(一)共産党員またはその同調者とみられた人をただそれだけの理由で解雇したのであるから、憲法第一四条第一項、労働基準法第三条、民法第九〇条に違反し、(二)解雇事由として主張する事実の多くは、正当な組合運動または政治活動、言論活動としてなされたものであるので、これを理由とする解雇は、憲法第二一条、第二八条、民法第九〇条、労働組合法第七条一号に違反し、無効であり、(三)就業規則所定の解雇事由に該当せず、かつその解釈適用を誤つているので、無効である。解雇が無効である以上、控訴人らは現在においても被控訴人の従業員たる身分を有しているので、社宅を退去して明け渡す義務はなく、控訴人盛義においては、本件解雇の無効確認を求める利益を有すると述べた。
六 証拠<省略>
昭和三三年(ネ)第二五四号事件につき、
控訴代理人においてその提出の準備書面のとおり
第一、正当なビラ活動にたいする原判決の誤解
原判決が被解雇者の全員について請求を棄却したのには驚きました。だがとくに私に驚愕を与えたのは、問題になつているビラのすべてが、解雇に値いするほどの違法な言論だと認定されたことです。言論の自由にたいする認識が一般に深まり、戦後積みあげられてきた労働判例の傾向もほぼ固まりかけている現在、原判決のような判断がくだされるとは、まつたく意外でした。私たちの請求が終局的にすべて認容されるか否かについては、解釈の違いや、事実評価の相違もあり得ましよう。しかし、解雇事由にあげられているビラのすべてについて、解雇に価いするほどの違法な言論だという判断を示されると、言論の自由もしくは正当な組合運動の範囲と関係するだけに、私たちは沈黙するわけにはいきません。
「真理と虚偽とを自由にかつ公然と戦わしめよ、必ずや真理が勝利を制するであろう」というのは、ミルトンの言葉だそうです。これが、言論の自由の理論的出発点だといわれています。こういう基盤のうえにうち立てられたのが、言論に関する「明白かつ現在の危険の原則」にほかなりません。明白かつ現在の危険の原則は、アメリカの判例として発展させられてきましたが、ひとりアメリカにおいてのみならず、あらゆる民主主義社会に普遍的に妥当する理念です。そして、日本国憲法第二一条の解釈としても、そのままあてはまるものとされています(宮沢、憲法コンメンタール二四七頁)。日本の裁判所では、公安条例違反や破防法違反被告事件の判決で、「明白かつ現在の危険」の原則が採用されてきましたが、国家権力対私人権という対立の場においてのみならず、本件のような個人対個人の間の民事訴訟においても、やはり利用できる考え方だと思います。「明白かつ現在の危険」を含まない言論が憲法第二一条によつて保障さるべきものであるかぎり、それは刑事面で処罰の対象になつてならないとともに、私法関係で何らかの不利益を蒙る原因にもなつてはならないはずだからであります。
それでは、言論の自由の原則が、いかなる場合にもそのままあてはまるかというと、これには異論がみうけられます。最高裁判所はかつて、言論の自由も、「自己の自由意思に基く特別な公法関係上、または私法関係上の義務によつて制限をうけることのあるのは、已むを得ないところである」と判示しました(最高昭二五(ク)一四一号・同二六・四・四)。この判決にたいしては、たとえば河原俊一郎氏の「自己の意思に基く私法関係上の義務によつて(言論の自由が)制限を受けることは已むを得ないと述べた点には賛同できない」というような反論が出されていますが(同氏、言論及び出版の自由一六頁)、その当否は別として、「私人相互間の契約であつても、また、特殊な身分関係に関する規律であつても、その契約関係や身分関係の本来の目的からみていちじるしく不合理であり、基本的人権を保障する精神そのものを否定するようなものは、許されないものと見るべく、そういう内容をもつ契約は、場合によつては、公の秩序に反すると解される可能性もあろう」(宮沢、憲法コンメンタール一九〇頁)ということは、異論のないところと思われます。本件で問題になつたビラもしくは掲示文についても、右のような憲法的視野のなかで評価が行われることが、ぜひ必要になつてきます。労働関係における従業員の言論の自由は、職場を規律する労働協約や就業規則との関係で、しばしば裁判所の問題になつています。各裁判例を検討すると、具体的事実の摘示に乏しい言論にたいする判例の傾向は、だいたいつかめます。措辞が適切でなかつたとか、攻撃の度が過ぎたという言論については、裁判所の態度は寛大です。しかし個人の名誉に関したり、直接経営を妨害するような言論については、裁判所はわりあい厳格な判断を示していることを認めないわけにはいきません。そういう判例の傾向を手がかかりにして、本件で問題になつているビラ及び掲示文を検討したいと思います。
(イ) “南北鮮の統一と日本の完全独立、朝鮮の統一運動を支援せよ”
朝鮮における戦乱を、外電を手がかりに分析し、解説したもので、その内容は、共産党のみならず、世界における広範な民主勢力が当時から支持していた所説であります。南鮮が北鮮に侵入したということは、マークゲエインの「ニツポン日記」などにも書かれており、今では、歴史的な常識になつています。原判決が、「朝鮮動乱における北鮮軍の行動を支持して共産革命を暗示し」としているのは、このビラのことだと思われますが、北鮮軍を支持するか南鮮軍を支持するかは個人の自由です。共産革命を暗示しているというのは、ずい分意地の悪い読み方のようですが、かりに組合員がそういう内容の文書を掲示したとしても、政治的信条の自由な表現として許さるべきことです。
言論の自由が私法上の雇傭契約関係によつて何らかの制約をうけるとしても、その制約は、雇傭関係そのものから出てくる必要最少限の範囲内に限らるべきであります。朝鮮の独立を声援したり、北鮮を支持したりすることは、雇傭契約関係から派生する言論の制約の範囲外のことですから、このような政治的発言を解雇の理由にするのは、憲法上の政治活動の自由を真正面から否定することと同じです。
(ロ) “大本営発表を二度と繰返すな”
右標題の下の、「日本共産党臨時中央指導部」という記載で分るように、日本共産党臨時中央指導部の発表を、そのままの文章で掲示したものです。報導関係におけるレツド・パージに抗議し、このような首切りを許したら、再び大東亜戦争の轍をふむことになると警告したのが、このビラの趣旨になつています。原判決はこれについて、「新聞事業からの赤色追放を誹謗し、これを許すときは、侵略戦争の奴隷労働が来ると主張して、日本共産党の政治活動に同調すべきことを煽動し」たものと断定しています。しかし共産党員がレツド・パージを誹謗するのは当然です。レツド・パージを侵略戦争、奴隷労働の前ぶれだと警告することも、自由です。この文章をいま読み返してみると、見通しの適確だつたことは、驚くばかりです。ビラが警告しているように、電産のレツド・パージはこの年の八月に行われました。鉄鋼その他重工業部門のレツド・パージも、電産に引きつづいて強行されました。これらのレツド・パージが、占領軍の指導によつて行われたことも、労働組合の産報化を目指していたことも、合では歴史的な事実として明らかになつています。そういう正しい科学的見通しにたち、労働者階級にたいして、レツド・パージ反対のための斗いを呼びかけたのが、このビラです。レツド・パージの矢面にたたされた共産党がこういう檄文を発表するのは当然のことです。杵島におけるパージを予想した杵島の共産党員が、居住地で同様の文章を掲示したことも、これまた当然の政治活動または組合運動というべきであります。
(ハ) “ボス的とボス取引”
見出しは大げさですが、中味はしごく当り前の文章です。ここでは組合運動の在り方にたいする五坑細胞の意見が細く述べられています。たとえば、「職場斗争、保安斗争」の重要性が説かれ、要求内容の「多面性」が望まれ、交渉過程の「厳密な検討」を組合員にはかるようにしてもらいたいといい、杵島労組の団交回数は、九共斗の他の組合にくらべて少いのではないかと指摘されています。どの内容をみても、組合運動の在り方にたいする一見識を表明したものであつて、違法不当な組合活動を煽動したものではありません。このような文章は、組合内部における自由な言論として当然許容さるべきことです。組合内部におけるこのよような言論を、会社が解雇事由にもち出したのは、おどろくべきことです。原判決がそのような解雇を正当なりと認定したのは、いよいよもつて驚嘆すべきことです。
(ニ) “言うこときたぬとなぐられるぞ”
共産党員井手太郎氏がいつものようにビラを配つていると、本社の氏家氏がきて、ビラを配つてはいけないといい、そこで井手氏と氏家氏が口論したことがありました。そのときの氏家氏の強圧的な発言に大町細胞が抗議し、ビラ活動の自由を守るように訴えたのが、このビラです。当の井手氏は、氏家氏との問答はこのビラのとおりだつたといつています(甲第六号証の二、井手太郎証人調書)。ビラの前文では、井手氏と氏家氏の問答内容を紹介したあとで、このようなビラ活動の制限は、レツド・パージを行うための下準備にほかならないと警告していますが、案のじよう、それから十日後には、杵島でレツド・パージが発表されています。ビラのなかでは、会社のこのようなやり方(ビラ配付の禁止)を許したら、「職場はカンゴク同然です」といい、「目に見えないクサリにつながれたドレイのような毎日が続く」といつて、「われわれをドレイにする会社のやり方に絶対反対しましよう」と訴えています。ビラ配付を禁止するのは、政治活動もしくは組合活動の副を狭めることと紙一重ですから、会社のビラ配付禁止を、職場のカンゴク化、ドレイ化と表現するのは、たしかに一つの有力な見方には違いありません。とくに、十日後にレツド・パージを控えた時期に、このていどの用語を使つた文書を配ることは、レツド・パージに直面した共産党員としては当然のことといえましよう。原判決はこのビラについて、「会社の経営方針をこのまま許したら職場は監獄になると従業員の被告会社にたいする反感を醸成し」(熊野にたいする解雇事由の判断)としていますが、正当な言論活動の意義を曲解した謬論というほかはありません。
(ホ) “私たちの要求を斗いとろう”
会社の低賃金、労働強化と、それにたいする組合の斗いの弱さを指摘し、要求獲得のための団結を訴えたビラです。ここには数年来わが国で問題になつている職場活動についての考え方や、または幹部斗争から大衆斗争へという思想が現われています。組合運動にたいすることのような考え方が正しかつたことは、幹部斗争から大衆斗争へというのが、現在の労働組合運動の合言葉になつていることで証明されています。
このビラでは、「売国吉田の政策に便乗する高取資本」という用語があり、「大もうけをするため、材料を引きしめ安い賃金で過重な労働を強要しています」という文章がみられます。一見過激に見えるこの書き方は、独占資本にたいするマルクス主義経済学者の一致した解釈であつて、大学の教室で公然と通用している思想です。そしてまた、労働者階級の気持を卒直に言い表わした表現であり、多くの組合幹部が愛用している慣用語でもあります。その他、このビラのどこをほじくつてみても、解雇事由になり得るようなところは見当りません。
“杵島の労務課員に訴う”
レツド・パージが発表された後で、レツド・パージに協力した労務課員にたいして、君等も資本家に搾取されている労働者だから、仲間を敵に渡すようなことをするなと訴えたビラです。労務課員の行つたスパイ的な共産党調査(例えば田中静雄の家における集会状況の調査、ビラ配付に関する主観的な内容を帯びた陳述書作成など)は、本裁判の過程でいやというほど明らかになりました。こういう労務課員にたいして、レツド・パージの対象になつた共産党員が、“第二次首切りのリスト作製を拒否せよ”と呼びかけても、これを非難に値いする違法な言論とみるわけにはいきません。なぜならば、争議権のない国家公務員や公共企業体労働者に罷業をあおつたり、そそのかしたりすることは違法とされていますが、争議権のある労働者に罷業や怠業をそそのかしても、正当な言論として許容されるはずです。相手に好ましくないこういう言論も、自由に放任して制限しないというのが、言論の自由というものです。
なお、このビラはレツド・パージ後に配付されたものですから、本件解雇の有効無効を論ずるばあいには、考慮の外においてよいものです。
(ト) “会社はミタカ事件を企む”
これまた、解雇処分発表後のビラです。
レツド・パージのときは、朝から、多数の労務課員や武装警察官が組合事務所附近をうろついていましたた。火薬庫やダイナマイトに関する不穏なうわさが流れたりしていました。三鷹事件や松川事件などのデツチあげ(共産党員は当時からデツチあげと信じていました)が杵島で起ることのないように、組合員に警戒心の喚起を呼びかけ、わき目もふらずにレツド・パージ反対斗争に取り組むように訴えたのが、このビラです。労務課員大山重吉の昭和二十五年十一月十五日附陳述書をみると、「熊野義雄がマイトを坑内より持出しているらしいとの噂を仄聞しましたが、或は赤追放を前に控えて共産党員がマイトを盗み何等かの破壊行為に出る事を推測されましたので・・・」と書かれています。共産党員が、三鷹事件や松川事件のようなデツチあげが起つてはたいへんだと警告したのも、充分な根拠あつてのことだというのが、これで証明されています。
人の名誉に関する根も葉もないうわさをもつともらしく陳述書に書きしるさせるような会社が、それに抗議したビラを非難するとは、盗人たけだけしいというほかありません。
(チ) “目的もわからないホリヨのような検身をやめろ”
レツド・パージ直前から検身がやかましくなつたことは、木場辰美の証人尋問調書(甲第六号証の五)で明らかです。以前は入坑時だけに行われていた検身が、パージ一週間ぐらい前から、入坑時のほかに昇坑時にも行われるようになりました。会社の方では、これを「盗難予防と保安確保」のための検身といつています(大山重吉の陳述書)。しかし、「両手を上げさせて、体とかポケツトとかに手を当て」「鞄も上から手を当てて検査」するような検身のやり方(木場調書)を、検身をうける組合員が「人権無視」、「ホリヨのような検身」、「ドレイ的な弾圧」とみるのも、納得できることです。こんな検身をやめてもらいたいという訴えをするのは、労働者の作業環境を良くし、基本的人権を尊重させようと願う人にとつては、当然のことであります。こういう言論を違法視することは、とうていできません。
(リ) “杵島にも迫る大量首切り”
レツド・パージが近まつたので、西杵炭鉱における解雇反対斗争の実例を紹介し、杵島でも同様の反対斗争を組むように訴えたのが、このビラです。ここでも、レツド・パージが行われたら、「次々に現在以上の低賃金と長時間労働がおしつけられ、生活はますます苦しくなり、会社の思いどおりに簡単に首切られるようになり、ちよつとの文句も言えなくなる。そしてあのいやな思い出の大東亜戦争中とかわらないドレイ状態がやつてくるのだ!!」といつています。会社には気に喰わない文章でしようが、労働者がこういう理解をすることは充分根拠のあることです。気に喰わない言論でも公共の福祉に反しないかぎり自由に許容するというのが、伝統的な言論の自由であります。
(ヌ) “杵島の諸君、サア立ち上るんだ”
西杵炭鉱における資本攻撃と、それにたいする西杵炭鉱労働者の斗いを知らせ、ベースアツプ、職場要求、査定量の引下げなどの斗いを組合員に呼びかけたものです。争議権のある労働者に、ベースアツプや職場要求、査定量引下げなどを呼びかけるのが正当な言論活動であるのは、いうまでもありません。原判決はこのビラを、「従業員を怠業させようと煽動し」たもの(木場の解雇事由にたいする判断と断定しています。このビラの趣旨をよく検討すると、単に怠業を煽動しているものとはうけとれませんが、かりにそうだとしても、これまた組合員としての正当な言論活動であつて、解雇事由になり得るものではありません。
解雇事由としてあげられたビラや掲示文を検討してみましたが、そのどれをとりあげても、正当な言論活動もしくは組合運動でないものはありません。
池貝鉄工事件や日本ベークライト事件、日本ビクター事件などで展開された一般論に照らして本件ビラをみますと、これらのビラが、継続的労働関係で結ばれている労働者を、失業の巷に放り出すに値いするほど行きすぎた言論とは思えません。本件ビラのなかにも、「措辞激越なるもの」(池貝鉄工事件)または「措辞妥当を欠くもの」(日本ビクター事件)がないことはありません。しかし、「虚構の事実」(昭電川崎事件)や「会社幹部にたいする侮辱的字句」(池貝鉄工事件)は、まつたく見当りません。そしてそのいずれもが、「団結権を擁護し組合員の経済的地位の向上を図る目的」(昭電川崎事件)、もしくは「非難の対象となつた事由を除去することによつて、労働者たる組合員の労働条件を維持改善し、又被申請人会社の発展を通じて組合員の経済的地位向上を計るという目的(日本ビクター事件)をもつていたことは、ビラもしくは掲示文の文言自体から明らかです。このような言論活動を理由に労働者を解雇してよいというのは、国民の言論活動を不当に制約する点で憲法第二一条一項に違反し、正当な組合運動を理由に不利益処遇する点では憲法第二八条、労組法第七条一号違反、共産党から出たビラを差別的に違法視する点では憲法第一四条一項、労基法第三条違反であります。これに反する判断をした原判決は、その恥ずべき誤りを御庁において是正していただくほかはありません。
第二、その他の解雇事由にたいする原判決の誤解
(一) 十二月十六日職場放棄事件・・・蒲原亀雄
蒲原が津山組の一員として入坑しているときに、「責任者津山春雄は会社の指定した者であるから、我々の責任者は我々の公選によつて定めるべきである。」として、会社の職制を不当に誹謗煽動し、作業場を混乱に陥れたうえ、組合員四二名中二六名を無断で職場放棄させたとされている事件であります。これにたいする控訴人側の反証は、いわゆるノソンが炭鉱で一般化している事実を指摘したていどで(甲第六号証の三・会沢松一調書)、十二月十六日の具体的事件についての反ばくは、原審でほとんどなされていませんでした(会沢調書十七項ないし十九項が、わずかにそれにふれています)。この点は控訴人の立証の不手際でしたから、第二審であらためて立証をつくしたいと思つています。この職場放棄事件がもともと解雇事由になり得ないことは、これからの立証で明らかになるでしよう。しかしとくに注意してもらいたいのは、蒲原に誹謗煽動の行為がなかつたこと、蒲原は多数組合員とともに、そのなかの一員として早昇坑したにすぎないこと、早昇坑者のなかでこの事件を理由に処罰された者は一人もいなかつたこと、事件当時はこの事件にたいする責任追求のうわささえなかつたのに、レツド・パージの公判になつてとつぜんこの事件が蒲原の解雇事由として主張されてきたことなどであります。レツド・パージ後に配付されたビラがレツド・パージの原因として主張されている事実からもうかがわれるように、この事件も、蒲原をレツド・パージした後で、レツド・パージに合法のベールを着せるため、それまで問題にもされていなかつた本事件を、蒲原の解雇事由としてきたものとしか考えられません。
(二) 七月二日職場放棄事件・・・蒲原亀雄
昭和二五年七月二日に津山組の一員として入坑した蒲原が、煽風機の故障に関して会社施設の不備を不当に追求し、他の従業員を煽動し、係員の注意または指示にも拘らず、三三名の者を無断職場放棄させたとされている事件です。この事件にたいする控訴人側の立証は、池永清の証人調書(甲第六号証の四)によつてなされています。
池永清は事件当時の杵島五坑労働組合副組合長兼生産部長です。池永は津山組のことで労務課から電話をうけて作業現場に入坑し、実地にそのときの事情を調査しています。したがつて池永証言は、直接的でかつ具体的です。それだけに、その証言は他の証拠にみられない迫真力をもつています。池永証言によると、津山組作業現場の煽風機はしばしば故障を起すことがあつて、事件前から取替要求がなされていました(池永調書九、一〇項)。この日も払の煽風機が故障して坑内の温度が高くなり、自然通風だけではどうにもならず、そのままの作業に堪えられなくなつた多数従業員が、早昇坑するようになつたのであります(池永調書九、一二項)。坑内に下つた池永は、津山組の労務者になぜ昇坑するのかと聞いたら、「煽風機の故障で何時間も待つが修理が出来ないし修理の目当もつかないから、切り場におつても仕様がないから上がろうと思うう」(池永調書一二項)、あるいは「煽風機が故障でいつ直るかわからないので、危険な所にいても仕方がないから上らせてくれ」(池永調書二八項)といわれたと証言しています。
右のような事情が分つたので、池永は坑内で会社に抗議しても仕方がないと思い、昇坑も止むを得ないだろうと判断して会社労務係の小林堅一氏と話し合つています。そして話し合いの結果、池永と小林は組合員を早昇坑させることにしたのです。もつとも小林氏は、はじめのうちは早昇坑させないようにと池永氏に申入れましたが、池永氏はこんな状態では止むを得ないではないかと小林氏を納得させて、組合員に早昇坑を指示したのです。昇坑に必要な人車は検身係が請求しています(池永調書一四、一五、一六項)。
この日の早昇坑が煽風機故障による高温のためだつたことは、会社側証人小林堅一氏の証言にもでています。小林証人は池永氏と早昇坑のことを協議した本人ですが、坑内に下るようになつた動機を、「坑内の津山組から局部煽風機故障のため温度が高くて坑内の仕事が出来ない旨電話連絡がありましたので」と述べています(小林証言七項)。こういう煽風機の故障がこのときはじめてでなかつたことも、右の小林証言でふれらていれます(小林証言八項)。
一般に会社の坑内保安設備が不完全なため作業条件が悪化したようなときに、従業員が昇坑してくるというのは、止むを得ないことです。それも、保安や作業条件に実質上影響の及ばないような故障なら話は別でしよう。しかし本件のように、坑内煽風機の故障という大きな障碍のため、坑内の温度が作業に堪え難いほど上昇したというとき、それでも我慢して坑内作業を続けろというのは、いう方が無理です。そういうことを考慮して、池永氏は早昇坑も止むなしという方針を出したものと思われます。杵島炭鉱ほどの会社が、坑内作業施設の完備を怠つていながら、その故障に原因した止むを得ない従業員の早昇坑を責めるのは、クリーンハンドの原則にも反します。こんな事件が適法な解雇事由になり得るものとは思えません。
右のような事情で行われた津山組の早昇坑は、当然のことながら、会社からも組合からも、処分の事由になるとは考えられていませんでした(池永証言一八項)。それがレツド・パージのときに、とつぜん蒲原の解雇事由として主張されるにいたつたのです。多数の早昇坑者の一人にすぎなかつた蒲原だけが、どうしてこのようなことになつたのか、理由はさつぱり分りません。早昇坑が蒲原の煽動や指導によるものでないことは、池永証言(一七項)にも出ています。それどころか、組合の生産部長をしていた池永の指示に従つて、蒲原等は早昇坑を行つているのです。こういう蒲原が、とくに多数組合員のなかから選ばれて解雇されたというのは、まつたく不当なことです。これは一種のでたらめです。こんな解雇事由が、継続的雇傭関係で結ばれている労働者を失業の巷に放り出す理由になり得るはずはありません。
(三) ハンスト事件・・・坂内三郎
ここでは、二つのことが坂内の解雇事由として主張されています。第一は、杵島労働組合連合会(杵連とよぶ)の労働協約斗争のとき、昭和二四年一一月六日に、坂内が「今度のストライキは経済的目的は第二義的であつて、共産革命が第一義的なものである。従つてこのストライキは革命に通ずるものである」と強調して、争議を長期化し会社業務を混乱に陥るべく狂奔したということです。第二は、杵連のスト中止指令を不満とし、共産党員会沢松一、梅沢衛等と謀り、平静に戻りつつあつた従業員に、「彼等がハンストまでやつて要求貫徹に身を捧げているのに、これを見捨てて仕事には行かれない」との気持を惹起し、以つて争議を長期化し、会社業務を阻害して共産革命に奉仕せんことを決意し、組合のスト中止指令に反抗して同月十二日より十七日迄坑口附近においてハンストを行い、業務の円滑な運営に重大な支障を与えたということになつています。
この事件を正しく理解するためには、当時の杵島炭鉱における労働組合の構成を知る必要があります。杵島炭鉱には、杵島三坑労働組合、杵島五坑労働組合、大鶴炭鉱労働組合、北万炭鉱労働組合などの単位労働組合があり、それらで杵連という連合体を組織していました(江頭種明証言、会沢松一調書二項)。三坑労働組合や五坑労働組合などは、おのおのが単位組合ですから、それぞれ組合規約をもち、議決機関と執行機関を有する完全に独立した労働組合だつたわけです。現在の杵島炭鉱では杵島炭鉱全体で一個の単位労働組合が作られ、本件当時の単位組合に相当する機構は、杵島炭鉱労働組合の支部と呼ばれています。杵島炭鉱労働組合が単位組合となつた現在では、傘下支部の行う争議行為は単位組合の指令によつて大幅の制約を蒙ります。支部独自の問題については支部にも争議権があるでしようが、全組合の問題になると、支部は単一組合の指令により、単位組合の斗争の一部をになうという関係になりましよう。
しかしながら、本件当時は、いまと事情が違います。杵島炭鉱にいくつかの単位組合があり、それらが連合体として杵連を構成していたときには、単位組合の争議行為が杵連の指令によつて拘束される度合いは、きわめて薄いものになります。単位組合が連合体の指令に反して争議をつづければ、組合内の統制問題が起り得る余地はありましよう。だがそれはあくまで組合内部の問題であつて、会社にたいする関係では、単位組合は完全に自由な争議権の行使ができます。昭和二四年の協約斗争時における杵島五坑労働組合との関係は、右のようなものだつたのであります(江頭種明証言)。
杵連は昭和二四年一一月六日から協約斗争に入りましたが、同月一一日に杵連からスト中止の指令が出されています。これにたいして杵連傘下の杵島五坑労働組合では、「組合大会を開いて討議した結果、組合員多数の要求で」(会沢松一調書二一項)スト中止反対を決議しました。杵島五坑労働組合の民主的に確認された総意として、杵連にスト中止指令を撤回させようということになつたのです(協約斗争及びスト続行決議の経過については江頭証言、会沢調書二一項)。
右のような情勢を背景に、スト中止指令後一時間か二時間たつた頃から、五坑の組合員のなかで、ハンストに入る者が出てきたのであります。
ハンスト参加者は時期によつていくらかの増減がありましたが、一番多かつたときは、三十名ぐらいいたということです(会沢調書二二項)。五坑労働組合長で杵連副会長を兼ねていた会沢松一氏も卒先してハンストを行つていますが、会沢氏はハンストに入つた理由を、「交渉の妥結を見なかつた責任の追求と同時にに同連合会は各単産から委任された形にはなつていたが、最後の決定は各単産で決めることであつて、同連合会で決めることは出来ないことであつたので、組合員に再考を促すためでありました。私は私自身杵島五坑労働組合の組合員でもあるし、また組合長としてスト中止に反対だという意思を表明して、ハンストに入りました。このハンストの対象になるものは、杵島五坑労働組合員の決起と、三坑労働組合が大きい組合であるので再考を促す為であり、間接的には会社に対する為にもなりますが、直接は組合に対する為であります」(会沢調書二三項)と説明しています。杵連のスト中止指令が誤りであることを杵連及び組合員に訴え、斗争続行を呼びかけるためのハンストだつたということになりましようが、現行法上こういうハンストを違法視する理由はありません。労働者が誰かに訴える方法としては、演説、ビラ、掲示、デモ、集会、その他いろいろなことが行われています。ハンストも労働者の呼びかけ手段のひとつですが、ただその方法が体当り的な激さをもつているというにすぎません。本件では、そういうハンストが、会社との協約斗争中に、組合長の卒先指導のもとに行われたのでありますから、本件ハンストが会社との関係で違法視される理由はどこにもないわけです。問題になり得るのは、五坑労組が杵連の指令に従わなかつたという点でしようが、これは前述したように、組合内部の統制問題として処理さるべきことであつて、対会社との関係で懲戒事由になり得るものではありません。
会社の主張(原審における昭二九・六・二六被告準備書面)をみますと、「争議を長期化し会社業務を阻害」することが、なにか違法なことのようにいわれているのに気づきます。本件のハンスト参加者が杵連の争議中止指令に反対していたのは事実です。しかし争議権の保障された労働者が争議の長期化を願うのは、そのこと自体違法でなく、かりに争議が長期化して会社業務の正常な運営が阻害されたとしても、会社はこれを甘受するほかはないでしよう。争議長期化を図つた組合員を解雇するのであれば、これは正当な組合活動を理由にした不利益処遇以外のなにものでもありません。
会社は五坑労働組合員の行つたハンストについて、レツド・パージまでは責任追求をしようとしたことはありませんでした。その他の控訴人にたいする解雇事由と同様に、レツド・パージのときになつて、いきなりこの事件が坂内の解雇事由として持ち出されたのです。ハンストに入つた組合員は三十名近くもいたのであり、そのなかの中心人物は、五坑組合長兼杵連副会長をしていた会沢松一氏だと思われます。しかし会沢氏についても、この事件による責任追求はなされていません。坂内はこの時の多数のハンスト者の一員というだけです。彼自身が煽動的役割を果したわけではありません(会沢松一調書二四、三一項)。本件ハンストそのものがもともと解雇事由になり得ないと思いますが、とくに多数のハンスト実行者のなかから、坂内一人についてその責任追求をするというのは、まつたく筋の通らない話しです。会社はなお、坂内が、「今度のストライキは経済目的は第二義的」だといつたと非難しています。この非難も、およそ的はずれです。協約斗争はもともと経済斗争というよりも権利斗争の色の濃いものだといわれています。その意味では、協約斗争について「経済目的は第二義的」だというのは、しごく正当な理解です。つぎに坂内が、「このストライキは共産革命に通ずる」と強調していたという会社の主張は、否認します。だがかりにそういう発言があつたとしても、これは問題になり得る思想でも発言でもありません。ストライキが共産革命に通ずると考えようと考えまいと、個人の自由です。かりに従業員が共産革命を実現したいという意図をもつていたとしても、その手段として憲法や法律で保障された正当な争議行為が選ばれたのであれば、これを違法視する理由はありません。
けつきよくこの事件は、どの面からとらえても適法な解雇事由になり得ないものです。これに反する判断を原判決は、もちろん改められなければなりません。
(四) トラツク事件・・・木場辰美、北村一次郎
昭和二四年の杵連協約斗争のとき、杵連のスト中止指命に反対した木場、北村が、蒲原、石渡外数名とともに、「杵連本部に行つてスト解除指命を取消させるんだ」といきまき、組合員を煽動して杵島郡江北町大字小田五坑新町広場に集合し、組合幹部がこれを制止すると逆に、「お前達は検挙がおそろしいのか」と喰つてかかる有様で、たまたま会社のトラツクが通り合わせると、木場、北村等は皆の者を煽動し、運転手及び組合幹部の制止にもかかわらず、むりやりこれにとび乗り、トラツクを強奪して杵連本部まで押し寄せ、その際運転を誤つて民家にトラツクを突入させる等の暴挙を行つたとされている事件です。
この事件の背景になつているのは、ハンスト事件と同じく杵連のスト中止指令です。その経過は、ハンスト事件のところで述べたので、ここでは再論しません。トラツク事件の内容については江頭種明の第一、二回証言にくわしくでています。江頭は協約斗争中に杵島五坑労働組合の調査部長をしており、問題にされているトラツクに乗りこんだ一人ですから、最もくわしい事情を知つているわけです。五坑労組が杵連のスト中止指令に反対の決議をしていたことは前述のとおりですが、江頭は石渡から、杵島三坑労働組合が無記名投票でスト中止指令にたいする賛否投票をしようとしていると聞き、三坑組合員に訴えようと思つて、このことを五坑労組の組合員に伝えました。すると集つてきた五坑組合員はみな江頭の提案に賛成し、そろつて三坑に行こうということになりました。すると幸いそこに大町行きの会社のトラツクが通りかかつたので、江頭が手をあげて停車してもらい、江頭の指示によつて乗れるだけの人員がトラツクに便乗し、大町に向つたというのです(江頭第一、二回証言白武喜六証言)。
会社は卜ラツクを止めたことが不当なことのように主張していますが、交通機関の整備していない田舎路では、通りかかつた空車をとめて便乗させてもらうことが、一般に行われています。このときのトラツクも、トラツクを止めるについては、運転手との間に何の紛争も起つていません。トラツクえの便乗が運転手から拒否されたという事情もありません。トラツクを強奪したというのは、とんでもないいいがかりです。また、トラツクの運転を誤つて民家に突入させたという会社の主張がありますが、トラツクを運転していたのは運転手であつて、五坑の組合員は運転にはいささかも関係していません。トラツクが民家に突入したというのも事実の歪曲です。実際は雨後のぬかるみのためトラツクが溝の中にすべりこんだということがあつたにすぎません。そのときは、便乗していた組合員が手伝つてトラツクを押しあげ、すぐ走行しており、民家を傷つけるような事態はおこつていません(江頭第一、二回証言)。
トラツク事件というのは、たつたこれだけのことです。してみると、けつきよく会社が非難しているのはは、木場、北村が杵連のスト中止指令に反対していたというだけのことに帰着するようです。しかしながら、スト中止指令反対は、ハンスト事件のところで述べたように、五坑労組の民主的な総意で決議された単位組合自体の方針です。五坑組合員である木場や北村が単組の方針どおりにスト中止指令に反対の言動をとるのは当然です。このような当然の言動を解雇理由にするのは、正当な組合活動を理由にする不利益取扱にほかなりませんから、解雇は労組法第七条第一号違反として無効であります。
(五) 切換採炭・・・太田善二、浦中貞雄
太田及び浦中の解雇事由として、作業量作業方式及び賃金等に関ししばしば不平不満をもらし、作業実施を渋滞せしむることがあり、ことに昭和二四年九月より同年一一月までの間、作業人員僅少な場合、同じ切羽に作業していた共産党員と共謀のうえ、「切羽の半分だけ採炭して残り半分は翌日採炭させてくれ」と採炭技術上もつとも忌み嫌うことを故意に要求し、これを許さない採鉱係にたいし、「労働強化だ」といつて反抗し、採炭の円滑な実施を阻害したということがあげられています。ここで会社は、「切羽の半分だけ採炭して残り半分は翌日採炭させてくれ」ということが、採炭技術上もつとも忌み嫌われることのように主張しています。しかし、そんなことはありません。杵島炭鉱では通常四十間の切羽に四十名ぐらいの採炭夫がかかつて採炭をしていました。こういうとき、四十名の採炭夫が大部分出勤すれば問題はないのですが、欠勤者が多いようなときには、限られた採炭夫が四十間の切羽全部にかかれないことがでてきます。しかし作業の都合上途中で仕事を止めることはできませんから、四十間もの切羽をうけもつ採炭夫は、はなはだしい労働過重になります。とくに欠勤者が半ばを超すようなときは、半数の人員で四十間もの切羽にかかることは、とうていできないことになります。そういうときの解決策として、たとえば採炭夫が半数足らずしかいないときには、四十間のうちの半分である二十間の切羽について採炭を行い、残りの二十間の切羽を翌日廻しにするという方法がとられることになります。この方式は普通切換採炭とよばれて、炭鉱では広く行われているやり方です。採炭夫一人の採炭量に限度がある以上、切換採炭は止むを得ないことです。増産しか考えない経営者には好ましくないかも知れない切羽採炭も、働く労働者の身になつてみれば、止むを得ない採炭方法です。採炭技術上忌み嫌われているというものではありません。かりに採炭技術上難点があつたとしたら、その解決は人員増加その他労働過重にならない方法を会社が考えるべきであつて、その負担を採炭夫のみにしわ寄せするのは、不当なことです。
太田や浦中の属していた志田組で、このような切換採炭が行われたことがあるのは、否定しません。だがそういう方法がとられたのは、原審における会社の準備書面もいつているように、「作業人員僅少な場合」に限つていたのであります。つまりそれは、切換採炭がどうしても必要なときにのみ行われていたということです。そしてこれは、職場の総意にしたがつてなされていたのであつて、特定の人が煽動して行われていたというようなものではないし、太田や浦中が煽動したということもありません。また、こういう採炭方法は志田組だけで行われていたというものでもありませんでした(以上、吉野弘士証言七ないし一三項、二二、二三項、大塚孝第二回証言六ないし九項、一七項、三〇項、太田善二証言六項)。
右に述べたように切換採炭自体がもともと解雇事由になるほど不当なことではないうえ、太田や浦中は志田組で行われた切換採炭の責任を負う立場にもありませんでした。そのほかに、太田と浦中が業務を自らさぼつたり、他人にさぼることを煽動していたとする証言もないのですから、これも太田、浦中の適法な解雇事由にはなり得ません。
(六) 富田副責任者排斥事件・・・太田善二、浦中貞雄
志田組副責任者富田芳雄が能率をあげるのを快しとせず、太田と浦中が相謀つて、「会社に対して腰が弱い」と称して排斥運動をおこし、作業時間を論議に費消して業務の阻害をしたとされている事件です。
吉野弘士、大塚孝(第二回)、太田善二の各証言がこの事件に詳しくふれています。副責任者が良いか悪いかは、組に属している労働者の労働条件に重大な影響を及ぼします。志田組副責任者の富田芳雄氏は、上役にはよいが組の者には悪いという不平がひろまつていました(吉野証言十四項)。そこで昭和二五年一月四日に、三番方から昇坑した志田組の者の大部分が栄町の公民館に集つて、職場常会を開いています。その常会で副責任者を皆できめようという話がもちあがり、その場で選挙した結果、園田政見が副責任者に選挙されました。これを会社は、富田副責任排斥運動といつているのですが、こういう運びになつた原因は、副責任である富田氏が組合の信望をつないでいなかつたためであつて、太田や浦中が煽動して排斥運動をおこしたというのは、大衆運動のイロハを無視した言いがかりです。組員が栄町公民館に集つてきたのももちろん太田や浦中の煽動によるものではなく、副責任者公選をいいだしたのも、特定の何某ということではありませんでした(吉野証言十五項、大塚孝第二回証言十一項、太田善二証言七ないし九項)。
労働者の労働条件に重大な関係をもつ副責任者が労働者の立場からみて好ましくないようなとき、労働条件を維持向上させる手段として副責任排斥運動を起すことは、もともと正当な労働組合運動として、その正当性が保障されています(最高昭和二四、四、二三大浜炭鉱事件)。
右判例の立場からみると、副責任排斥運動が積極的に展開されたとしても、その手段が違法にならないかぎり、正当な組合運動としての保障を失いません。この事件では、富田副責任の排斥運動が志田組所属の組員の労働条件維持向上のために行われたことは明らかであり(富田が能率をあげるのを快とせずという会社の解雇事由が暗にそのことを認めています)、また排斥のためにとられた手段が違法だつたということもないのであるから、これまた適法な解雇事由にはなり得ないものです。
(七) 函よこせ切羽よこせ運動・・・浦中貞雄、田中静夫
昭和二四年二月六日ごろ、浦中方において、浦中、田中外数名の者が会合して生産阻害の方法について謀議し、「函よこせ」運動と称して炭車に石炭を八合目ぐらい積み、当時資材不足の折柄、ただでさえ不足する炭車をよこせと要求し、函がないからという口実で石炭を堀ることができないようにしようと打合せ、また「切羽よこせ」運動と称して各切羽における稼動鉱員の増加を要求し、人員不足を訴え、一般鉱員の故なき不平を醸成し生産意慾を低下させ、もつて会社業務の円滑な運営を阻害せんことを企てたとされている事件です。浦中と田中の解雇事由にされています。
会社の解雇事由をみると、会社は函よこせ切羽よこせ運動が浦中、田中等によつて行われたとまではいつていません。そういう運動方針を決議して、会社業務の円滑な遂行を企図したと主張されているにすぎないのです。そしてこれにそうような佐藤元春の証言がありました。佐藤元春によると、大町細胞で旗びらきが行われたとき、「函が不足していたに拘らず、炭車に石炭を八合目ぐらい積んで炭車をよこせと抗議を申むむ」という函よこせ運動や、「良い切羽を造れ」という切羽よこせ運動を行うことがきめられたということになつています(佐藤元春証言九ないし一二項)。しかし佐藤証言によつても、この戦術は「旗びらきの日に協議しただけで実行しませんでした」(佐藤証言一三項、二五項)ということです。
ところでこの佐藤証言は、中味を検討すると、たいへんインチキです。函よこせ切羽よこせ運動は、浦中や田中が日炭高松から移入したという山ねこ戦術というようなものではありません。それどころか、石炭増産の一対策として採炭協議会で討議されたことです。昭和二四年ごろは炭車が少く、箱の奪い合いが行われる有様で、函の不足が増産の隘路になつていたので、函をたくさん廻してもらおうということが討議され、これが函よこせ運動と呼ばれていました。切羽よこせというのも、同じような動機から問題になつていました。将来の増産計画のためにはひとつでも多くの切羽を新設してもらおうという要求を、切羽よこせ運動と呼んでいたのです(浦中貞雄供述一九ないし二三項)。したがつて、函よこせ運動にしても切羽よこせ運動にしても、増産を願い賃金の上昇を求める鉱員が当然考えることであつて、例えば、昨年の杵島炭鉱における九十七日の長期ス卜のときも、切羽新設による増産計画が真剣に叫ばれていたのであります(浦中供述二四項)。
右のような事情ですから、佐藤元春が証言しているように、浦中や田中たちが、「炭車に石炭を八合目ぐらい積んで炭車をよこせと抗議を申し込む」ような決議をするわけはありません。そういうことが細胞会議の議題になつたことさえありませんでした(大塚孝第二回証言十二項)。単に、増産のためにはなるべく多く函を廻してもらうことにしよう、そうすることが請負制の賃金手取額を増すことでもあるからということが話し合われたにすぎなかつたのです(大塚孝第二回証言十九、二十項、浦中供述二〇ないし二三項)。なお、大塚一夫第一回証言参照。これを要するに浦中や田中等が会社の主張するような意味の函よこせ切羽よこせ運動を決議して会社業務の正常な運営を阻害しようとしたことはなかつたし、もともと函よこせ切羽よこせ運動そのものは、従業員として考えていけないという性質のものでもないのですから、単にそういうことを企てたという口実を構えて浦中、田中を解雇するのは誤りです。
(八) 成績不良・・・北村一次郎
北村の解雇事由のひとつに、同人の成績不良があげられています。しかし北村が成績不良でなかつたことは江頭積明の第二回証言及び北村自身の証言によつて明らかです。北村にたいする解雇は、人員整理とか懲戒解雇などではなく、全国を吹きまくつたレツドパージだつたのですから、単に成績不良というようなことが、解雇事由として考えられたとは思えません。これもまた、解雇を正当化しようとするごまかしのベールであつて、真の解雇理由は、他にあつたはずであります。
(九) 鉱員としての不適格性・・・瀬田美之松
瀬田については、作業場全体に不愉快な気分を醸成して他の鉱員に悪影響を及ぼして会社の業務を阻害し、そのため真子組の除け者にされる結果になつて、日役夫として使用するの止むなきに至つたということを、解雇事由にしています。だがこれもレツド・パージをした瀬田について、他に適当な解雇事由を見付けることができなかつたため、裁判になつて苦しまぎれにくつつけた口実だつたとしか思えません。瀬田の性格及び集団作業についての適格性については、河津武男証言及び大塚孝第二回証言(十二項)、瀬田証言(四項)に、瀬田の真子組における作業ぶりについては河津証言に詳しくでています。それによると、瀬田は真子組の職場代議員に選ばれたことがあるくらいですから、職場の人々の信望を集めていたとみなければならず、同人が日役夫になつたのは、他の者から除け者にされたというようなことからではなかつたのであります。その他、瀬田が解雇されねばならぬほど従業員として不適格だという証拠もありませんから(純然たる力作業をする炭坑夫で、従業員として不適格だといつて解雇されたのは、おそらく前例がないでしよう)、本件もまた適法な解雇事由にはなりません。
以上、分析したように、会社の解雇事由はすべて理由がありません。そうすると、本件レツド・パージは、けつきよく被解雇者等の正当な政治活動もしくは組合運動を理由にして行われたことになります。
このようなレツド・パージが違憲違法であることは、第一審以来私たちが強調してきたとおりですから、本件解雇は無効と断定されなければなりません。
第三、解雇後の諸手続にたいする原判決の誤解
原判決は、北村については「合意解雇」が成立したとし、浦中、太田、田中、瀬田については、「予告解雇を認容」したとし、蒲原、熊野、坑内、木場、石渡については、「予告解雇の手続により解雇された」としています。右のうち蒲原、熊野、坂内、石渡についてなされた「予告解雇」が無効であることは、本準備書面第一および第二で詳述しましたから、あらためて取りあげる必要はありません。私がここで問題にしたいのは、「合意解雇」が成立したとされている北村、「予告解雇を認容」したさとれている蒲中、太田、田中、瀬田に関する解雇後の手続についてであります。
退職願を提出しても労働契約の合意解約を成立させないばあいのあることは、原審で私が詳述したとおりです。北村のなした退職願提出は、まさにこのばあいに当ります。かりに北村の退職願提出が何らかの合意を成立させたとしても、それが法的になんらの効力も生じないことも、原審で詳しく述べました。その主張を当審でも維持します。
浦中、太田、田中、瀬田についていわれている「予告解雇の認容」という考え方は、かつて裁判所で愛用されたことがありました。だがこれがいかに浅薄な考え方であつたかについて、最近深刻な反省がなされはじめました。裁判例をみても、たとえば札幌地裁は三井美唄レツド・パージ事件判決のなかで、予告手当金、退職手当金の受領は解雇の承認ではないとし(労民集六巻六号70)、東京地裁は服部時計店解雇事件において、「無効の解雇を承認しても無効な形成権の行使が有効となる法理は見出し難いところであり、一旦承認した解雇についてこれを後日争うことが当然に信義則に違反するとの主張も首肯できない」(労民八巻一号4)と判示するにいたりました。本来無効な解雇が承認によつて有効になるという法理が見出せないことは、早くから学者が指摘していたところであつて、東京地裁の右判断は、札幌地裁の判決を法律的に一歩堀り下げた当然の結論だということができます。
以上に述べた理由によつて、北村、浦中、太田、田中、瀬田の各人についても、何人等にたいする解雇が有効であるか否かは、会社の主張する解雇事由が正当であるか否かという観点のみから判断されなければなりません。それ以外の要素によつて労働契約関係が消滅することは、あり得ないからです。この点においても、原判決は改めらるべきであります。
いま裁判で争つている人たちは、いずれも喰うや喰わずの暮らしをしながら、苦しい法廷斗争をつづけてきました。復職を勝ちとりたいという願いもさることながら、彼らを今日まで支えてきた原動力は、不正と斗い権利を守りたいという燃えるような熱望のみであります。彼らの生命をかけた斗いにたいしては、結果の成否はどうであれ、少くとも真正面から事件を取りあげて判断していただきたいと念じています。第一審判決のように、判決文だけを読めばなるほどと思わせても、一旦判決文の裏に秘められた事案の真相をあばき出すと、言論の自由も組合活動の権利も頭から無視したような判断は、ぜつたいにくり返していただきたくありません。こんな処理の仕方は、権利のための斗いに対する侮辱です。」と述べ、
甲第二九号証の一ないし六、第三〇、三一号証を提出し、乙第四三号証の一ないし八は不知、第四四号証の一ないし三は成立を認めると述べ、
被控訴代理人において、乙第四三号証の一ないし八、第四四号証の一ないし三を提出し、当審証人荒木美企、富田芳雄、津山春夫の各証言を援用し、甲第二九号証の一ないし六の成立を認め、甲第三〇、第三一号証は不知と述べた外は、原判決に示すとおりであるから引用する。
理由
控訴人田中盛義を除くその余の控訴人らに対する解雇が有効であつて、同控訴人らと被控訴人との雇用関係が消滅していることは、以下附加訂正する外昭和三三年(ネ)第二五四号事件の原判決説示のとおりであるから、ここに同判決を引用する。
一 原判決二〇丁表一〇行の「川久保嘉孝」を「川久保嘉厚」に改め同裏五行の「支給する旨」を「支給し、右各金員は、杵島鉱業所経理課において、同月二〇日一五時までに受領すべき旨」に、同所九行の「小林堅二」を「小林堅一」に「石橋竹雄」を「石橋竹義」に改め、二一丁裏六行目の津山春夫(一、二)とある(一、二)を削り同所一二行目の「証人山本清二」に(一、二回)を加え二一丁裏八行の「1乃至3」の下に(但し1の昭和二四年は昭和二三年で、2の昭和二五年は昭和二三年、3の同年は同二五年)を加え、「二三丁表三行以下同所七行の混乱させんとし」までを削り、「二三丁表一一行以下同裏一行の綜合すれば」までを「前記乙第二号証添付のビラに白武喜六(第一、二回)の証言、前記坂内三郎のところで認定した事実を綜合すれば」に改め、二四丁表二行の「によりから三行の証人林障の証言」までを「及び右証言」に改め、二四丁表九行の「十八」を削り、一〇行の「乙第十八」の上に「乙第一七」を加え、同所一〇行から一一行に跨る「成立に争のない乙第三十八号証の一、二の各記載」を削り、控訴人坂内三郎、木場辰美関係において、同人らが昭和二五年一〇月一八日「会社は三鷹事件を企むか」等のビラを配布して、従業員の被控訴人に対する反感を煽動したとの原判示事実を削る。
二 当事者弁論の全趣旨及原判示事実によると、被控訴人は、瀬田美之松、坂内三郎は共産主義の支持者として、その余の控訴人ら及び選定者らは共産主義者として、重要産業たる石炭産業を経営する被控訴人がその企業からこれを排除するために、当時の連合国最高司令官の指示に従つて解雇したものであること、及びこの解雇は指示に即応するものであること(原判示二の事実ことに二の(一)から(十)までの認定事実は、この指示によつて解雇しうることにつき意味がある)が認められる。そして、連合国最高指令官の指示は、平和条約発効までは、超憲法的効力を有していたので、たとえ現在を基準として判断すれば、本件解雇は憲法第二一条、第二八条、第一三条その他控訴人ら主張の法律等に違反し無効であると判断され得るとしても、解雇ないし合意退職の効力は、その当時の法規に従つて判断さるべきであるので、控訴人らの本件解雇は前示憲法並びに法律に違反するから無効であるとの主張は採用することはできない(最高裁判所昭和二九年(ク)第二二三号昭和三五年四月一八日大法廷決定参照)。
三 原判決が排斥した証拠の外、以上の各認定に反し、あるいは反するかのような原審証人井上勝次(第一回の一部)、松瀬倉治、富永進、浦中貞男(以上昭和二八年(ネ)第七三四号事件の原審証人)、当審証人井手太郎、会沢松一(第一、二回、二五四号事件の甲第二九号証の四は、第二回分)、池永清、木場辰美、山本菅雄(同上事件の甲第二九号証の一)、吉岡武男(同上事件の甲第二九号証の二)、小林重光(同上事件の甲第二九号証の三)、蒲原虎雄(同上事件の甲第二九号証の五)、浦中貞男(同上事件の甲第二九号証の六)の各証言、当審控訴本人田中静夫、蒲原亀雄、石渡達治の各尋問の結果(以上は右七三四号事件の人証)は、原判決が認定に供した証拠と対照し信用できないし、その他に以上の認定を動かすに足る確証はなく、前示二五四号事件において、当審で取り調べた証人荒木美企、富田芳雄、津山春夫の各証言、右七三四号事件において、当審で取り調べた証人喜多尚、石橋竹義、前山平太、松下四郎の各証言は、益々以上の認定を強めるばかりである。
従つて、控訴人田中盛義を除くその余の控訴人ら及び選定者ら計一〇名の者と被控訴人との労働契約関係は、ここに消滅したことが明白である。これに反する控訴人らの法律的見解は採用しない。
四 つぎに控訴人田中盛義と被控訴人との労働契約関係が消滅したか否かについて判断する。
被控訴人が昭和二五年一〇月一六日内容証明郵便をもつて、同控訴人に対し、同月一九日までに退職願を提出して退職することを勧告し、退職願を同日までに提出した場合は被控訴人主張のような金員(右七三四号事件の被控訴人の主張四の(一)参照)を支給するが、同日までに退職しないときは、本通告をもつて即時解雇の通告とし、この場合は、解雇予告手当と退職金とのみを支給し、特別加給金は支給しない。なお右の各金員は、杵島鉱業所経理課において同月二〇日一五時までに受け取るよう附記して解除条件付解雇の意思表示をなしたが、同控訴人は所定の期限内に退職願を提出せず、また金員を受領しなかつたので、被控訴人は同月二一日佐賀地方法務局武雄支局に解雇予告手当金九、八八七円四〇銭を弁済のため供託したところ、同控訴人は同年一一月三日退職願を提出した上、被控訴人から退職金九五、一五八円七九銭と特別加給金五、九三二円四四銭計一〇一、〇九一円二三銭を経理課において受け取り、同月六日供託局から供託された予告手当金の還付を受けたことは、当事者間に争がない。この争のない事実及び成立に争のない右七三四号事件の甲第一七号証から第一九号証まで並びに原審証人川久保嘉厚の証言、当事者弁論の全趣旨を合わせ考えると、昭和二五年一一月初め頃控訴人所属の労働組合の斡旋により被控訴人は暗黙のうちに解雇の通告を撤回して、同月三日控訴人の退職の申込を承諾して、ここに合意による退職が成立し、前示退職金、特別加給金を受領し、異議をとどめずして、無条件に解雇予告手当の供託金を受領していることが認められるので、同控訴人との被控訴人との労働契約関係は消滅したことが明らかである。同控訴人は退職願を提出しあるいは退職金等を受領する際、口頭をもつて退職願の提出や右金員の受領は雇用契約を消滅させるものではない趣旨の通告をなしたと主張するけれども、この主張に副う前示七三四号事件の当審控訴本人田中盛義の尋問の結果は信用しがたく、その他にこれを認むべき確証はないし、また右退職願は、同控訴人の自由意思に基かないで提出されたとの主張は、これを認むべき証拠がない。
五 本件解雇無効確認の訴は、被用者である控訴人ら(選定者を含む。以下同じ。)と使用者である被控訴人との間に、現に労働契約(雇用契約)の存在することの確認を求めるものに外ならないところ、以上見たとおり、被控訴人と控訴人らとの雇用契約は、すでに消滅しているので(これに反する控訴代理人の法律上の見解は採用しない。)、解雇無効を求める請求は失当として棄却すべきである。
六 つぎに社宅明渡の請求について判断する。
控訴人蒲原亀雄、田中盛義、田中静夫、熊野義雄、坂内三郎、石渡達治の六名が、被控訴人主張の各社宅に居住占有すること及び鉱員は雇用契約消滅の日から二〇日内に居住の社宅を明け渡して退去すべき就業規則の存することは、関係当事者間に争がなく(なおこの点成立に争のない右七三四号事件の甲第三、四号証参照)、当事者弁論の全趣旨及び七三四号事件の原審証人川久保嘉厚の証言及び同証言により成立並びに控訴人田中盛義、田中静夫へ到達したことを認める甲第五二号証(ただし田中盛義は成立を認める)、同事件の原審証人石橋喜平の証言(第一回)及び同証言により成立並びに各その名宛人たる控訴人熊野義雄、蒲原亀雄、坂内三郎、石渡達治へ到達したことを認めうる甲第五九号証ないし第六二号証、当時における住宅払底の事情を合わせ考えると、右各控訴人らは被控訴人との使用貸借類似の関係において、被控訴人の鉱員であることから本件各社宅に居住しこれを占有していたところ、前認定のとおり被控訴人との雇用契約が消滅したにもかかわらず、所定の期間が過ぎても明け渡さず、一方被控訴人の社宅は入舎希望者多く、鉱員であつて社宅入居の利益を享受できない者が多いため、昭和二六年八月控訴人らに対し明渡しを要求し、ついで同年九月二六日本件家屋明渡の訴訟を提起するにいたつたことが認められ、これに反する証拠はない。
なお、当事者弁論の全趣旨、解雇無効確認の請求につき田中静夫に関し認定した事実及び当審における同人の供述を総合すると、同人は父たる田中盛義の本件社宅の占有に包摂されて、同社宅に居住しているものとは認められないので田中静夫に対して社宅の退去を命ずるを相当とする。
よつて控訴人らに対し本件社宅の明渡しないし退去を求める被控訴人の請求を認容すべきである。
七 本件各原判決は相当で控訴は理由がないので、民事訴訟法第三八四条第九五条第八九条九三条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 鹿島重夫 秦亘 山本茂)
【参考資料】
家屋明渡等請求ならびに反訴請求事件
(佐賀地方武雄支部昭和二六年(ワ)第七一号昭和二八年(ワ)第六九号昭和二八年一〇月八日判決)
原告(反訴被告) 杵島炭礦株式会社
被告(反訴原告一名を含む) 田中盛義 外五名
主文
一、被告田中盛義(反訴原告)は原告に対し
杵島郡大町町大字福母二四〇五番地所在杵島三坑社宅福母六九六号寿町一八舎
木造瓦葺平屋建家屋建坪八坪七合五勺
を明渡すべし
二、被告田中静夫は
杵島郡大町町大字福母二四〇五番地所在杵島三坑社宅福母六九六号寿町一八舎
木造瓦葺平屋建家屋建坪八坪七合五勺
より退去すべし
三、被告熊野義雄は原告に対し
杵島郡江北町大字上小田二、二四七番地所在杵島五坑社宅上小田二三三号羽衣町四一五舎
木造瓦葺平屋建家建坪六坪一合二勺半
を明渡すべし
四、被告蒲原亀雄は原告に対し
杵島郡江北町大字上小田二、二四七番地所在杵島五坑社宅上小田二三三号春日町五二三舎
木造瓦葺平屋建家屋建坪八坪
を明渡すべし
五、被告坂内三郎は原告に対し
杵島郡江北町大字上小田二、二四七番地所在杵島五坑社宅上小田二三三号春日町五二四舎
木造瓦葺平屋建家屋建坪八坪
を明渡すべし
六、被告石渡達治は原告に対し
杵島郡江北町大字上小田二、二四七番地所在杵島五坑社宅上小田二三三号春日町五二五舎
木造瓦葺平屋建家屋建坪八坪
を明渡すべし
七、本訴の訴訟費用は本訴被告等の負担とする
八、反訴原告田中盛義の反訴請求は之を棄却する
九、反訴の訴訟費用は反訴原告田中盛義の負担とする
事実
原告(反訴被告)代理人は本訴請求の趣旨として主文一項乃至七項と同旨の判決並保証を条件とする仮執行宣言を求め被告田中盛義の反訴に付反訴請求は之を棄却するとの判決を求め本訴請求原因として原告は杵島郡大町町に杵島三坑を同郡江北町に杵島五坑等を設けて石炭の採掘販売並に関連事業を経営するもので被告(本訴)等は孰れも原告の礦員として雇われ被告田中盛義同田中静夫は杵島三坑に被告熊野義雄同蒲原亀雄同坂内三郎同石渡達治は杵島五坑に夫夫従業していたが被告等は孰れも昭和二十五年十月十六日所定の手続を経て解雇されたものである原告は事業遂行のため福利厚生施設として従業員に限り雇傭期間中使用させる目的で礦員社宅を設備して居り礦員就業規則礦員社宅管理規程に拠り被告田中静夫を除くその余の被告等をして夫夫請求趣旨記載の社宅を使用させ被告田中静夫はその父被告田中盛義方に同居させていたところ被告等は孰れも解雇により夫夫の社宅使用居住の権限を失ひ解雇の日より二十日以内に夫夫の社宅を立退き之を原告に明渡さなければならない樣になつた、原告の従業員で職務上社宅入居を必要とするもの並に希望するものが現在多数あるがその需めに応ずるだけの社宅が無く従てそれ等の者の生産意慾並に能率の低減を来して居る事情にあるので被告等が無権限で占拠する本件社宅の明渡を受けると否とは原告に取つて経済的影響が極めて大きく原告の礦員でない者が本件社宅に滞在居住することは施設本来の目的に副わないのみならず社内の規律を紊すこと甚しいので原告は被告等を解雇した後被告等に対し夫夫居住使用の社宅から立退き之を原告に明渡すよう度々請求したが被告田中静夫はその父被告田中盛義方に依然滞在して社宅から退去せず其の余の被告等も亦孰れも原告の右明渡請求に応じないので本訴請求に及ぶ尚反訴の答弁として反訴原告の主張事実中本訴に於ける反訴被告の主張に反する点は否認すと述べ被告等の抗弁を否認した(立証省略)。
被告等(本訴)は原告の請求を棄却すとの判決を求め其の答弁として被告田中盛義同田中静夫が原告経営の杵島三坑に被告熊野義雄同蒲原亀雄同坂内三郎同石渡達治が杵島五坑に夫夫礦員として就労していた事及被告等が本訴の社宅に居住し居る事は争ない然し原告主張の本件明渡請求の前提たる被告等の解雇は昭和二十五年十月十六日所謂レツドパージにより低賃金と労働強化に抵抗する被告等を含む各労働組合の根強ひ組合活動を弾圧せんとして日本共産党に党籍を有し又は其の同調者と見做されると云ふ原告の認定の下に正常の組合活動又は政治活動をとらえてあらゆる中傷悪罵を加え進んで日本共産党を暴力団の如く言ひ被告等に職場破壊の言動意図ありとなし又自由を保障された言論を資本家反共主義者の好みに添はないものとし或は党機関の新聞ビラを取り上げ或は労働強化低賃金作業保安の悪条件等に対する労働者の真剣切実なる要求又は闘争或は露骨な搾取強化の資本攻勢に対する抵抗等の事実を挙げ之に関して職場で宣伝煽動をなし生産を阻害し又は職場を破壊し延いては暴力革命を企図したと言ふが如き全く一方的な考え方を以て労資階級闘争を抹殺しようとするものであるから原告の被告等に対する解雇通告は不当で無効である、次に原告の明渡請求原因の第二段として社宅の使用貸借の権限は礦員たる資格即従業員たる身分の有無によると云うも解雇が無効であるから社宅使用権は喪失して居らぬ又使用貸借は本人の願ひによる退職以外に一方的に喪失するものでない
仮りに解雇通告が有効なりとするも被告等に於て解雇を不当と主張する以上社宅居住権を奪われるものでない
又労働者の死命を制る不当なる解雇職場追放就労拒否せられて以来被告等は日夜生計の資を得て妻子父母弟妹を如何にして餓死より免れしめんと苦心し又努力して居るのに今社宅明渡退去等を要求して居住権を脅すは人道上残酷極まるものと云わねばならぬ
仮りに被告の主張が容れられないとするも原告の主張は社宅の明渡しは解雇又は退職の日から二十日以内に退去せねばならぬと云うが解雇退職が本人の意思に反してなされた場合何時を以て右二十日の終了期とするか礦員就業規則又は社宅管理規程等に存在せず
又原告は現在従業員中社宅入居を必要とする者並に希望するものが多数ありて其需要に応ずる社宅不足なる旨主張するも之は炭礦外市町村の賃金労働者にも住宅難ある現状で独り入居希望者許り住宅難あるにあらず庶民住宅失業者住宅の余裕なきは事実である
被告田中静夫は父被告田中盛義方に同居中なるが原告より今日迄退去の要求を受けた事実なしと陳述した(立証省略)。
理 由<省略>